先日「先生、最近優しくなられましたよね?」と、ある生徒から言われて笑ってしまいました。

・・・そんなにコワかったかなぁ?・・

「優しくなったんじゃなくて、怒るの疲れちゃったの」と答えておきましたが、それはbroma:ブロマ(冗談)です。私の辞書に「疲れ」という文字は有りません。

 

 

 数年前「教える」ということの難しさに、とても悩んだ時期がありました。

いつも全員に対して平等に教えるべく努力しているつもりなのに、どうしても「習得度」に差がついてしまう。

「習う側の資質の差」と言ってしまえばそれまでなのですが・・、ではそもそも「資質」って何なのだろう?と・・・。

クラスレッスンでは、年齢や体格といった客観的な諸条件とは別に、いつの間にか個人差が大きく広がってしまいます。

 

 教える以上は、やはり皆にちゃんと理解してもらいたい、落ちこぼれ気味の人を看過できない、という私の指導方針と、習う側の温度差はどうしても埋められず、つくづく「教える」という仕事の難しさを感じたものでした。

 

 今でも勿論、「難しい」とは思っているのですが、幸い『良い意味で予想を裏切ってくれる生徒』が何人か居ました。

つまり;Sevillanas:セビジャーナス1曲さえ、仕上げるのに10年かかるのでは?と思えるような人でも、ある時期を境に、劇的に上達するのを何度か目の当たりにしてきたのです。

 

 そうした経験を積むにつれて、「伸びるか否かの分かれ目」は自分(教える側)の立ち位置にあるのではなく「習う側」にあるのだ、ということが判るようになってきました。

誤解を招く書き方かも知れませんが「放っておいても伸びる人は伸びる」のです。

 

 それに気付いて以来、ちょっと肩の力が抜けたというか・・・言い換えれば「教えてあげたい、教えてあげよう、はい、ちゃんとやってね~」というのは、しょせん独り相撲、ある種の驕りかも?と自分を振り返るようになりました。

 

 今も昔も「自分に教えられる範囲のことを全力で伝える」という私の姿勢に変化はありませんが、それを「受け止めてもらえるかどうか」又、それは「いつなのか?」は生徒自身が決める事であり自由なのだ、と考えられるようになりました。

「何故伸びないのか?」と悶々とするより「時期が来れば伸びるはず」と生徒の可能性を信じ続ける方ことの方が、結果的に良いみたいです。

 

 続けてさえいれば速度の差こそあれ、きっと手に入れられるものはあるはずですから、「昨日と今日」「今日と明日」の間は微々たるものかも知れませんが、3年後に越し方を振り返ってみれば「嗚呼、こんなにも進んで来たんだ」と思えることでしょう。

 

 

 ちなみに順調に伸びる人の共通点は何でしょうか?

私は「自分で節目を作っている人」だと感じています。

発表会などのように与えられた節目(機会)を上手く利用して伸びる人も居ますが、それはある意味「当然のこと」と言えるでしょう。

「やる時には、やる」という覚悟を持つのは、フラメンコに限らず大事なことです。

 

 そうした「与えられた機会」とは別に、自分で節目が作れる人(自発的にスイッチをONに出来る人)が居ます。

「日常生活と稽古場に居る時とのON・OFFが上手い」とでも言いますか・・・、身体能力の差ではなく、集中力の差かな・・という気がしています。

 

 そして、そのスイッチは「誰もが持っている」と、最近は信じられるようになりました。

ただそれを「いつ押すのか」は、やはり見守るしかないのでしょうね。

 

 

 

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