どの分野にも通じることであろうが、「教える」というのは難しい。
いや、単に教えるだけならそう難しいことでない。
一方通行であっても、教えるという作業は終了しうるからだ。

 しかし「教わる側」の習得能力というのは、個人差があるので、ある伝達手段で飲み込めない生徒に対しては、更にそれを噛み砕いて教える必要があり、またそれでも理解しえない生徒に対しては、別の手段を考えねばならない。

 どこまで噛み砕いて教えることが出来るか、また、いろいろな角度から解決の糸口を見つけることが出来るか、決して諦めず、という点で先生の力量は問われると思う。

 一見、難しく思えるようなことも、徹底的に基礎的な要素に分解し、掘り下げて説明することよって、いつかは必ず、伝えられるはずだから。

 それを突き詰めれば、運動心理学は勿論、時に遺伝学や精神分析学さえ勉強の対象となるので、最良の指導法というのは、いつまでも見つからないのである。だが、見つけたいと願い続けることが大切だと自分に言い聞かせている。

「先生」としての成長の鍵は、そうした果てしない課題を提供してくれる個性豊かな生徒たち向き合うことにあるので、「我ながら先生を悩ましているな」と自責する傾向が強い生徒さんは、まあ、そう考え過ぎずに居てもらいたい。

先生に対して「こんなに教えてもらっているのに申し訳ない」「クラスの足を引っ張って申し訳ない」いった類いのマイナス思考に陥るより、自分の苦手部分を冷静に分析して、一点ずつ “可能なレベルにまで” 簡素化して地道に取り組む方が確実に前進できる。
そのように、たとえ時間が掛かっても着実に成長した、或いは成長過程の生徒を沢山見ている。

 ある山に登る時、急勾配であっても近道をグイグイと登る人がいる一方で、裾野から傾斜の緩い坂道をじっくりと蛇行しながら進む人もいるだろう。
自分の体力、筋力見合った道を選び、途中で諦めることさえなければ、必ず、いつかはその頂上に至ることは出来る。
そしてまた、隣りの少し高い峰を目指すことが、終わりのない挑戦なのだと思う。自分の足で登ることによって、経路は違っても結果的には皆、成長することが出来る。

しかし、リフトやケーブルカーを使って山に登った人は、結局、鍛えられていないので、新たな峰を目指す時も、また何某かの乗り物に頼らなければいけない。

「自分の頭で考える」「独力で分析する」ことが大切である。
そうして、苦労する中で、培われていくのが “実力” というものだろう。

長くなったので、続きは次回に。

2013年親睦会

【訃報】旧・現生徒の皆さんへ

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