小島章司先生の舞踊団に居た時代、私は実に良く叱られる生徒でした。

いつもいつも・・・・・誉められた記憶は殆ど無いように思います。

 

 今、思い返せば、それはもう当然至極のことばかりで・・、とにかく「身体が出来ていない」「走る:フラメンコではリズムが前のめりになること」「足が弱い」等々・・・、あんな私をよくぞ舞台に立たせて下さった。と冷や汗が出る思いです。

 

 でも今、自分が「先生」と呼ばれる立場になってみて、つくづく感じるのは「叱る」のはエネルギーが要るということです。

生徒に対する「愛情」なくして、叱ることは出来ません。

 

 また「言い易い人」「言いにくい人」というのがあるものです。

言う度に「意気消沈してしまう人」や「逆切れの気配を漂わせる人」には「この人は真意を汲み取ってくれないだろうな・・」と、諦めるようになってしまいます。

 

 では言い易い生徒とは・・・?言葉をそのまま受け止めてくれ、プラスに転換してくれるだろうと思える人には、つい言葉が出てしまうものです。

 

 ですから、自分以外の人が注意されている時も、それを我がことのように受け止めて耳を傾ける習慣をつけましょう。

クラスレッスンで成長する鍵は、そんなところにもあるのではないでしょうか。

 

 逆に、他人事として傍観している人は、自分の中に「私は出来ている」という「驕り」が僅かでも潜んでいないか、注意すべきだと思います。

 

 かつての私は実に不出来な生徒でしたが、ある意味で、とても可愛がって頂いたのだと、今は感謝しています。

でも、当時はそれを実感できるほど大人ではなかったので、時に落ち込んだりしたものでした。

 

 舞踊団を辞めて数年後、初めてスペインに行って、Sevilla:セビージャ のある稽古場に通っていた時のこと。

2つの稽古場を掛け持ちしていましたが、どちらでも、全く叱られないことに気付きました。

 

 決して、出来が良い訳ではなく、明らかに皆より出来ていないのに・・です。

 

 先にフラメンコ留学していた友人にそのことを話したら「彼らは絶対、注意しないわよ。日本人はいずれ帰国してしまうでしょ。短期間のことだし、上手くなるように期待もしていないの。育てようと思っていないから、本当は先生でも何でもないわけ。ただの商売人かな、お客様を減らしたくないだけだわね。本人の口から、はっきりそう聞いたもの。」という返事でした。

 

 スペインに年単位で暮らすことが出来て、彼らとの人間関係が出来る人に対しては、また、話しが違うと思います。

商売っ気が強いだけでなく、本当に指導熱心な先生が沢山いることも事実です。

 

 「先生業の性」とでも言いましょうか。

自分がしてきた努力や、傾けてきた情熱と同等のものをつい、生徒にも求めてしまうのです。

特に、職人気質・完璧主義の先生ほど、細かな注意を次々としないでは気が済まないものです。

勿論、中には「誉めて伸ばす」のが上手な先生も居るでしょう。

 

 ただし「誉め」と「おだて」は別のものですから、それに気付けるようになりたいものです。

「おだててくれる」先生が本当に「優しい」先生なのではありません。「優しさ」と「厳しさ」は表裏一体なのです。

 

 今、習っている先生がよく叱ってくれる方なら、きっと「優しい」先生です。

そして、本当に誉められるようになるには、沢山、叱られてそれを肥やしにすることだと思います。

 

 叱られ上手になりましょう。

高円寺エスペランサのライブ

何から聞けば良いものか・・・・。

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