今日、スペイン語会話のクラスから帰る途中、駅でバッタリと某スペイン人cantaor(フラメンコの歌い手)に、出会った。

 

「おおっ!久し振り!元気だった?!何でここに居るのよ?」等々、話しが弾んで信濃町~新宿間の数分、一緒に電車に乗ったのだが、何やら疲れている様子。

「仕事が忙しいのね?」と尋ねると「おうよ、世間はどうかしらんが、俺は忙しい」

「良いことじゃない?」

「良いことだが、良いことばっかりじゃない」

・・・・、う、く、、来るぞ、これは・・・。と思えば案の定・・・。

「何で日本のアルティスタ(フラメンコ界の)は、皆、あんなにも唄を知らんのだ~!踊り手もギタリストも、み~~~んな、何にも判ったとらんじゃないか~~~!お前は歌い手だから俺の気持ちが判るだろう?いいか、何を唄っても同じなんだぞ、聞いちゃおらんのだぞ~~!唄は言葉なんだぞ!もっと敬意がを払うべきだろ?」と、不満爆発!

 

あう~~、この台詞、ずっと昔にも散々聞かされたよ。(やはりスペイン人の歌い手から)

 

 日本人の歌い手は(私も含めて)余程、信頼関係の整った相手か大切な人でなければ、「唄を聴いて下さいよ」とは言わない。

自分自身も、唄を勉強する段階で、その難しさを思い知っているから・・・、下手に刺激して逆切れする先生や、意気消沈する生徒さんに出会うのも辛い。

でも、もし唄に興味を持てず、好きにもなれないならそれはもう「フラメンコ」を好きだと言ってはいけない次元であろう、とおそらく全員もれなく思っているだろうが。 

勿論、私はキッパリそう思っている。

 

 だから、憤懣やるかたない彼の言葉は、どれも頷けるものばかりだが、そんな私自身もまだまだ判らないことだらけだから、取りあえず「ごめんね、私たち日本人にとって言葉の壁は厚いのだよ、でもフラメンコが好きなら、もっと勉強しなきゃだね」と謝っておいた。

 

 「そういえば、お前最近唄ってないのか、全然見ないじゃないか、フラメンコやめたのか?」 彼とは以前、唄の仕事で共演しているので、以来私を専業cantaora だと思い込んでいる。

「やめてないよ、踊っているよ」

「え?踊りに転向したのか?」

「いや、もともと踊り手なんだよ、だから踊り手の都合も判るの」

「ふ~~ん」

 

 怒涛のような数分間、新宿駅で別れ間際に「お前に渡したいものがある」といって取り出してくれたのが、彼のオリジナルCDだった。

「え~っ!いいよ、買うよこれ!」

「いいんだ、やる、取っとけ!」

「あ・・ありがとうね・・・」・・もらってしまった。

あ、サインを求めるのが礼儀だったかしら・・・。

 

 スペインの失業率は20%だ。ましてフラメンコ界のアルティスタで、それだけで食べていける人は、とても限られている。相当に有名な人であっても・・・、例え仕事があったとしても、ギャラは恐ろしく安い。だから彼らにとって日本は絶好の市場である。

 

 彼らから見たら、三流、四流以下の日本人アルティスタが、それを職業としていながらも、フラメンコの根本であるcante:唄のことはさっぱり判っていない。しかし食べていくためには、そんな世界で仕事をしなくてはいけない。日本ではスペインの数倍でお金が動いているから。

 

 年末、年始は故郷のヘレスで家族と過ごすと言っていた。

日本での仕事の疲れが癒されることを祈ろう。

歌い手の本音、の続き

ひばりが丘から振り替えできるようになりました。

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