フラメンコ舞踊家の割鞘憂羅さんが、2月25日の夜、20:30ごろ、癌のため亡くなられたという知らせを、今、受け取りました。

 

 昨年からずっと闘病生活を送っておられたのですが・・・、本当に、本当に残念です。

まだまだ、踊り続けたい、表現したいという意思を強く持っておられた方でした。

 

 憂羅さんとの出会いは25年ほども前になるでしょうか・・・。

当時、私はまだ小島章司先生の舞踊団に在籍中でしたが、ある人の紹介でお会いして以来、大変可愛がって頂きました。

エスペランサや寺子屋への出演など、私がプロになる道を拓いて下さった恩人と言えます。

 

 私の娘が小学校6年生の時には、共にオーストラリアへの船旅のお仕事を頂き、私がカンテとルンベーラ、娘がグァヒーラとセビジャーナスで共演させて頂きました。

船上とメルボルンでのライブは、当時12歳だった娘にとっても、この上ない貴重な経験となりました。

 

 病状が良くないという話しをずっと聞き及んでいたものの・・・、まだ「亡くなられたのだ」という実感が湧きません。

 

 次々と思い出されるのは、誰に対しても優しかったお人柄や、誰の物真似でもない自分だけの世界を表現しきったその踊り・・・、フラメンコという枠に囚われない、本物の芸術家の1人だったと思います。

 

 合掌

 

 今日は3月19日、20日の親睦会で私が踊るTarantos とRumbera(Al alba)をギタリストと打ち合わせました。

 

 フラメンコは事前の打ち合わせがなくても、即興で唄や踊りを楽しむことが出来る芸能で、そこが魅力でもありますが、事前にfalseta(ファルセータ):ギターの独奏部分を打ち合わせしておいて、それを基に足や振りを作り上げていくと、一層完成度の高いものとなります。

 

 今回のギタリストとは、もう10数年来の付き合いですが、今までTarantosは、弾いてもらったことがなかったのでした。今日は、とても綺麗なファルセータをもらったので、新しい振り付けのイメージが膨らみそうです。

明日から、早速、取り掛かろうと思います。

 

 

 さて私は時に、唄い手として伴奏者側に立つこともあるので、「後ろの都合」というものが、とりわけ気になる方です。

 

 今日は、数人、ソロで踊る生徒も練習に参加してくれました。

 ソリストとはいえ彼女たちはアマチュアですから、「そこまで求めて良いものか」と時に迷いますが、やはり、唄とファルセータは「聴く耳」を持って欲しいと常に思っています。

 

 群舞と違って、踏み出す足や上げる手が、右でも左でも自由なのが「ソロで踊る」ということなのですから、“振り付け”に縛られず、自在に踊れるようになって欲しいのです。

 

 それは普段から、如何にフラメンコ音楽に慣れ親しんでいるか、その時間の積み重ねが大切で、2年、3年で培われるものではありません。

 

 人それぞれ体格、性格、背負っている人生が違えば、同じアレグリアスでも違った踊りになって然るべきです。

 

 苦手部分は最低限克服せねばなりませんが、そこに執着する必要はないでしょう。3回転、よろけて回るより、説得力のある1回転を。音楽性のない4連の足より、心地よい2連でスピードを維持することを目指せばよいと思います。

 

自分の長所を強調して踊ることが、ソロならではの楽しさではないでしょうか。

 

 

 他人の苦労が判るのは、自分にも同じ経験があるから。これは当然のことです。

 

 踊りにせよ、唄にせよ、スペイン語にせよ、私は全てに不器用で本当に苦労してきたし、今でも苦労し続けているので、生徒さんの大概の悩みには共鳴できるのですが、唯一、「何故、出来ないのか?」さっぱり判らないのが“巻き舌”なのでした。

 

 はい!「とぅるる~」「どぅるる~」って言ってみて~。

「と・る・る・る」「ど・る・る・る」・・・・・・何としたものか・・・。そして、出来ない人の比率の高いこと!

 

 Google で「スペイン語 巻き舌」と検索してみると、トップに萩原正人さんという方の“巻き舌クリニック”という頁がありました。

これは、経験者談で、かなり説得力があったので、ご紹介してみます。(リンクフリーかどうか不明なので、上記のように検索して下さい。)

 

 スペイン語のRとLの発音の違いは、かなり大きな影響を及ぼすので、苦手な人にとっては何としても乗り越えねばならない高い壁です。

 

 私は、こればかりはどうしても上手く教えてあげられないので、「頑張って~!」と旗を振るしかありません。

 

 何ごとも根気やで~!(いきなり関西弁)