今年、最後のエスペランサ・ライブ、終了しました。年末のお忙しい中、いらして下さった皆さま、ありがとうございました。

 

来年は、3月19日(土)20日(日)にスタジオで親睦会と称して、ささやかな発表の場を持ちます。

 

次回のエスペランサ・ライブはそれが終わってから、4月頃になる予定です。来年も、どうぞ宜しくお願い致します。

 

 今年最後のエスペランサでは、Luís Eduardo Aute :ルイス・エドワルド・アウテの、Al alba :アル・アルバを唄います。

 

 オリジナルの歌詞とアウテのインタビュー記事が掲載されているアムネスティ・インターナショナル(国際人権擁護団体)の頁を対訳してご紹介します。青字は原文にはない、私の補足です。

 

http://www.amnistiacatalunya.org/edu/2/pm/pm-poesia-aute.html

 

 

La Vanguardia にて公開されたインタビュー 2000年11月4日 (一部分)

 

アムネスティ:1975年9月にスペインで最後の死刑が執行されています。5人のテロリストたち(ここでは政治犯)が銃殺され、あなたは“アル・アルバ:夜明け”にと題して素晴らしい唄を一曲作曲なさっています。

 

アウテ:私は銃殺の数日前に大至急、“アル・アルバ”を書きました。私の唄の中で最も速く湧き上がった1曲に違いありませんが、それを人々に唄ってもらいたいと望んでいました。実の所、熟考する必要はなく、その痛み(死刑に対する想い)から生じたのです。

 

アムネスティそれは生命への唄ですが、愛の歌として(実態を)覆い隠されています。何故、その方法にしようと思われたのですか?

 

アウテ:急いで検閲を通過したかったのです。フランコの独裁政権時代、全ての出版物や言論、芸能に検閲がかけられていました)ですから、その曲を愛の歌、永遠の別れの歌として、そして死への申し立てとして作りあげました。しかしながら、その唄には死刑執行と強く結び付けられる2つの要素があります。検閲を通過した後、ロサ・レオンがそれを録音しました。

 

アムネスティ確かにその発表により、アルバは最も多く求められた唄の1つです。人々がそれを求めるのは何故だと思われますか? 

 

アウテ:この唄は、それを書くことについて、既に出来上がっていた(機が熟していた)必要性から生まれ、強く心に沁みました。ええ、おそらく私が最も多く唄ってきた曲です。

 

アムネスティ当時沢山の唄が検閲官に提出されており、それらは許可されないであろうと既にあなたは判っていました、そうして気の毒に思った検閲官が、あなたの願いであったアルバを認めたのだと私は思います。

 

アウテ:検閲官達にどんな苦悩(気の毒だと思うような深慮)があったようにも、私は思いません。しかし、確かにそれはひとつの策略であり、幾つかの歌詞が救われるように、我々は多くの検閲官を利用しておりました。

 

 歌詞

1)

愛よ

もし、君に言えたなら(言えないのだが)

僕は夜明けが怖い

何だって星は、あんなに傷つけるのか

まるで脅すが如く

何だって月は、血を流すのだ

その死神が持つ鎌の刃先に

 

 僕は予感している 

夜の後に、最も永い夜(死)がやってくると

愛よ

僕を見捨てないでくれ

夜明けに、夜明けに....

 

2)

我々の息子達ではなかったが

彼らは悪の掃き溜めに隠れた

猛烈な飢えと共に

その日が訪れるのを

まるで予感するかのように

彼らは、最後の花(青春期の終わり)を消費する

 

 

3)

無数のハゲタカ達が

無言でその羽を広げてゆく

この静かなダンスが

君を粉々にするのではない

死者の呪われた踊り

明日の火薬(銃火)

 

1番:囚われた若者が牢の中から夜空を見上げている情景です。星の瞬きは、まるで「死ね、死ね」と自分を脅すように・・・、又、三日月の弧は、死神の持つ鎌が刃先を赤く血で染めているように見える。明日には銃殺されるであろう、という死の予感に怯え、しかしそれを伝える手段は、もはやありません。

 

2番:ここでは las cloacas (悪の掃き溜め)は、牢獄、もしくはETA(バスク、祖国と自由:Euskadi Ta Askatasuna のどちらとも想定できますが、若者達が貴重な青春期を死と隣り合わせに生きていることが訴えられています。 

                     

3番:ここでも死(銃殺刑)を予感させる情景が描かれています。

 

 

☆ ETA ウィキペディアより

フランコ政権によるバスク地方への武力弾圧に対する抵抗運動として、1959年7月31日バスク国民党から分離した若手の民族主義者たちによって設立された。この当時は、バスク語を禁ずるなどの圧政に対する一般市民の反感もあって、ETAは共感を得ていた。

 

さて、 フラメンコの独裁政権時代には、大勢の芸術家・同性愛者・非カトリック、そしてヒターノ(ジプシー)が殺され、迫害されました。フラメンコを愛していたことでも有名な詩人、ロルカもその1人です。

 

“Al alba” は、フラメンコ界ではJosé Marcé らが唄っています。

詳しくは11月22日のイザ・ブログをご覧下さい。

 

 

 

 

 

 

 歌い手のエンリケ・モレンテ(エストレージャ・モレンテの父親)が亡くなりました。びっくりです!

 

作曲家・編曲家としても大活躍した人で、その秀でた創造性は、フラメンコ界で異才を放っていたと思います。合掌。

 

 

 

http://www.elpais.com/articulo/cultura/cantaor/Enrique/Morente/fallece/67/anos/elpepucul/20101213elpepucul_6/Tes

 集英社新書 ノンフィクションから桃井和馬氏の新刊書“妻と最期の十日間”が発売されます。

 

3年の時を経て、ようやく出版されたこの本。

2年前に「風の旅人」に連載され、読んだ折には、胸がつぶれそうな想いがしたものでした。

 

誰もが避け得ない「死」の場面。その訪れが急であるほど、遺された人達の混乱と悲しみは大きい。

常に「死」を覚悟しつつ「生きる」ことは大切だ。

 

http://shinsho.shueisha.co.jp/index.html